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広報ところざわ令和3年1月号4 鎌倉時代末期、各地で倒幕の動きが激しさを増すなか、所沢でも鎌倉街道沿いの小手指ヶ原を中心に激しい戦いが繰り広げられました。その中心にいた新にった田義よしさだ貞の兵力は当初150騎ほどでしたが、足利氏らの援軍もあり、20万騎の大軍勢に!幕府軍と激突した小手指ヶ原では30回余りに及ぶ戦の末、新田軍は鎌倉 市内に残る中世の城跡で最も規模が大きいのが「滝の城跡」。戦国時代に大石氏が築いたといわれ、のちに北条氏が持ち城にしました。川越や岩槻方面への伝達・防衛拠点として重要な役割を担っていた城跡は、県の指定史跡にもなっています。 南に流れる柳瀬川に沿って、高さへ向けて徐々に進軍し、初戦の11日後に鎌倉幕府は滅びました。 小手指ヶ原周辺には、新田義貞が源氏の白旗を立てた「白しら旗はた塚づか」、倒幕を誓った場所「誓せい詞しが橋はし」、長久寺(久米)の南の柳瀬川に架かり、新田軍が勢揃いした「勢せい揃ぞろい橋ばし」など、新田軍にまつわる伝承が残る史跡が点在しています。20mの崖が敵の侵入を防ぐことに適していたことから、この場所に築城を決めた先人たちの知恵が詰まった滝の城。堅い守りを誇っていましたが、天正18年、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、北側からの攻撃を受け、1日で落城したと伝わります。▲合戦の火ひ蓋ぶたが切られた小手指ヶ原古戦場に建つ石碑(撮影:山畑寿雄さん)▲現在、史跡周辺は緑や滝の城址公園が広がり、市民の憩いの場に▶滝の城跡保存会の皆さんが制作した滝の城復元模型図▲敵の進行を妨害する障しょう子じ堀ぼり 武士の台頭、鎌倉幕府の成立、戦国時代の幕開けなど激動の時代を生きた、中世の所沢の人々。今もなお地域に残る伝承や遺跡など、数多くの歴史の痕こん跡せきが残された時代でもあります。中世 鎌倉時代、人々が各地から鎌倉へ向かい、主要な道が「鎌倉街道」になっていきました。所沢を通っていた街道は「上かみつ道みち」と呼ばれ、その道沿いには歴史的な文化財や伝承が多く残されています。 西富小学校前や所沢中学校前など、街道沿いには目印となる標柱や説明板が設置されています。散歩をしながら、当時の人々の足取りを追ってみると新しい発見があるかも♪ 例年5月に行われる「戦国滝の城まつり」では、甲かっちゅう冑に身を包んだ武者行列や大迫力の合戦絵巻を間近で見ることができます。力強い太鼓の音や立ち込める土煙は、まるで戦国時代にタイムスリップしたかのよう!新田義貞が倒幕を誓った場所は?3面のクイズの答えとつなげて15面のクロスワードのカギを解こう!滝の城跡

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