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14広報ところざわ令和2年4月号▶著作権・肖像権・プライバシーなど第三者の権利を侵害していないことHPホームページ検索Eメール電申市HPから電子申請(市外局番は04) 写真・絵手紙・切り絵・川柳・エッセイなど、皆さんの作品やお便りを募集しています。●応募方法 欄外の留意事項をご覧の上①住所②氏名③年齢④ペンネーム⑤タイトル⑥作品コメント⑦広報紙の感想を記入し、メール・郵送(写真は10MB以内/エッセイは300字程度)▶hiroba@city.tokorozawa.lg.jp▶〒359-8501広報課みんなのひろば (住所不要)みんなひろばの投稿大募集!テーマ「お礼を言わせて」◀春よ来い我が家の水仙が初咲き●らぶりん(荒幡)▶春を見ぃっけ!寒風の中、健気に咲いていました●前向き(中新井)母へ宮下広子(南住吉) お礼を言いたい人、それは母です。 私が小さい頃、扁桃腺の手術を受けた帰り道、塗り絵の絵本を買ってくれた母。小学校に行きたくないと泣いた朝に、庭の花を紙にくるんで「先生に届けて」と私に渡してくれた母。中学生になり、熱を出した時には、自分より背の高い私をおぶってお医者さんに連れて行ってくれた母。帰りが遅くなった高校生の夜、危なくないように学校の近くまで迎えに来てくれた母。結婚式当日までの1カ月間、毎日違う具の味噌汁を教えてくれた母。 母は今、山梨の施設にいる。当時はなぜか言えなかった「ありがとう」。もっと早くお礼が言いたかった。私にしてくれた全てのことに。背中を押してくれた言葉サザエさん(和ケ原) スキーに熱中していた頃、週刊誌にバスツアーの記事を見つけて迷わず応募。何度か参加しているうちに、顔見知りになったスタッフに「添乗員をやってみない?」と誘われた。口下手で内気な性格だった私。ツアーを仕切れるのかと不安だった。 そんな私にかけてくれた「やればきっとできる。やりすぎるくらいでちょうどいいのよ」という言葉に背中を押され、添乗員の道へ。いざやってみると、やれないことはない。私の不安は杞憂だった。 喜寿を超えた今でも、何か決断を迫られた時には、「やりすぎるくらいでちょうどいいのよ」と、背中を押してくれた彼女の言葉を思い出す。母の背 戸塚博允(山口) 小学3年の私が足の指を痛め、翌朝痛くて歩けなかった時。母は私を背負い、病院に連れて行ってくれた。お医者さんから、「学校はどうする?」と聞かれ、勉強好きだった私は「行きたい」と即答。再び母の背に乗せてもらい、学校へ向かった。 年を取り、介護施設に入った母。お見舞いに行くと、「私もあなたのことを面倒みたんだよ」と言いたげに、時々この出来事を話していた。「力持ちだったね。ありがとう」と何回言ったことだろう。 そんな母は、2年前に97歳で天国へ旅立った。今でも「ありがとう」と伝えたい、懐かしい思い出だ。5月号のテーマ●「私のプチ自慢」締め切り●4月10日㈮◀私の名前私の名前にも付いている「桃」が満開に。小さいころから見守ってきた桃の木がこんなに大きく立派に育っていて感動しました●もぐちゃん(松郷)▼ごきげんな初節句おひな様と一緒に「はい!チーズ♪」●ちゃき(北中)◀週末のお決まり走ったり遊具で遊んだり、図書館へ行ったり。航空公園は息子のお気に入りスポットです♪●もなか(東町)▶小さな噴水だぁ!6日違いで産まれたいとこ同士。寒い中でも仲良く水遊びに夢中♥●あお&こう(山口)
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