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広報ところざわ平成31年3月号2          フランス大使館付き国防武官   海軍大佐 クリストフ・ピポロさん このたびは、フランス航空教育団来日100周年記念行事のお手伝いをすることができ、本当にうれしく思っています。 当時彼らが築いた人と人との交流、技術産業の交流は、今日では経済、科学、文化、安全保障など、あらゆる分野での活発な交流へと引き継がれています。 日仏の友情が、近代技術の伝承へと繋がり、日本の航空技術は飛躍的な進歩を遂げました。その功績は大いに誇ってよいものでしょう。これからも、さまざまな分野で生まれるであろう、新たな協力の成果が期待されるところです。 このように、フォール大佐と航空教育団のメンバーたち、そして、後に彼ら自身エキスパートとなる日本人の生徒たちの物語は、日仏協力の生き生きとした、かつ、尽きることのないインスピレーションの源なのです。日本初の飛行場ができた!「所沢って、どんなところ?」①首都・東京に近い②交通の便が良い③落雷が少ない④地形が平坦…これらはみな、飛行場に適した立地条件に当てはまります。ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功してから、わずか8年後の1911年、所沢に日本初の飛行場ができたのは、これらの理由からでした。飛行場があったのは、現在の所沢航空記念公園などがある一帯。気象観測所や格納庫、操縦士や技術者を育成する学校などが建てられました。日本の航空史が始まった所沢。所沢飛行場を舞台に、数々の記念すべき記録が刻まれていきました。●徳川好よし敏とし大尉が操縦するフランス製のアンリ・ファルマン機が、日本で初めて、飛行場での飛行に成功●国産飛行機による最初の飛行●所沢飛行場で造られた飛行船「雄飛号」が、所沢から大阪までを初飛行こうして、所沢は「日本の航空発祥の地」と呼ばれるようになったのです。ようこそ、フランスの先生当時、世界一の航空技術を持っていたのが、フランスでした。フランスから飛行機を購入した日本は、航空技術を学ぶために協力を依頼。それに応えて、フランスから航空教育団が来日しました。時は1919年。今からちょうど100年前に当たります。フォールさんって、誰だろう来日したフランス航空教育団を率いていたのが、フォール大佐です。当時第1級の操縦士として知られていたフォール大佐は、優秀な教育者として、日本各地で航空技術の指導にあたり、所沢では飛行機製作などを教えました。日本の航空技術を飛躍的に押し上げたフォール大佐の功績を称えて、所沢航空記念公園内に胸像が設置されています。「航空発祥の地・所沢」をおさらいフランス航空教育団がやって来た~フランス航空教育団来日100周年~今から100年前、所沢にやって来たフランス人一行のことをご存知ですか?日本の航空黎れい明めい期に、航空技術の飛躍的な発展に貢献した、フランス航空教育団。日本初の飛行場・所沢飛行場で、航空史に大きな足跡を残しました。来日100周年の今年は、記念イベントも開催。この機会に、「航空発祥の地・所沢」の魅力と、フランスとの絆を再確認しましょう。問商業観光課☎2998-9155◀フランス将校たちが通ったという、所沢初の西洋料理店・美好軒(現・割烹美好)▶所沢航空記念公園内の茶室・彩翔亭の正面玄関を出て左に下ると、閑静なエリアにたたずむフォール大佐像に出会えます▶(写真上)1918年(大正7年)頃の所沢飛行場▶(写真下)所沢航空記念公園内の沈ちん床しょう茶園(所沢航空発祥記念館と茶室・彩翔亭の間の少しくぼんでいるエリア)は、かつての滑走路のなごり。表紙の下中央に、当時の滑走路と気象観測所の写真を掲載しています「また、会えたね!」特集

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