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米軍所沢通信基地所沢の中心にある基地所沢にある『『基地のこと基地のこれまでとこれから 1911年(明治44年)、軍用の気球・飛行船の研究を目的に、日本初の飛行場として所沢飛行場が誕生。所沢は、落雷が少なく平らな地形などの条件が飛行場に最適だったのです。その後も、日本初の航空教育機関ができるなど、所沢飛行場は、日本の航空技術の発展に大きな役割を果たしてきました。 しかし、1945年(昭和20年)に第二次世界大戦が終わると所沢飛行場は米軍のものとなり、所沢基地に。当時の敷地面積は約300haにも及びました。 米軍が駐留するようになると、米兵とのトラブルや風紀上の問題が発生。また、高度成長期になると、人口が増えて住宅需要が高まるなか、都市基盤の整備を求める声も強まりました。 こうした中で、市の中心にある基地の返還を求める機運が高まっていったのです。基地誕生の理由米軍所沢通信基地▲基地正面ゲートには、所属を示した看板が設置されています◀▶所沢飛行場(上)は、戦後接収され米軍の基地に(下)。白いゲートは、現在の「航空記念公園」交差点の場所にありました 市役所や航空公園に程近い並木6丁目。そこに、米軍所沢通信基地はあります。基地とは言っても滑走路や航空機の格納庫などはなく、約97 haという広大な敷地の大部分が草地に覆われています。一見すると広い公園のようにも見えるかもしれませんが、外周をぐるりとフェンスに囲まれていて敷地の中に入ることはできません。 この米軍所沢通信基地は、横田基地の米第5空軍374空輸航空団に所属する送信基地で、受信を担当する大和田通信所(新座市と清瀬市の間に所在)とともに、米軍の航空機や艦船と横田基地を結ぶ通信業務を行っています。フェンスの向こう 主な施設は、通信用のアンテナや局舎(管理棟)、アンテナの部品などを保管する倉庫があり、基地内では日本人従業員が数人働いています。特集所沢市の中心にある米軍所沢通信基地。あなたはどのくらい基地のことをご存じですか?「所沢に基地があるけど、あれはなに?」そう思った方も多いかもしれません。なぜ所沢に基地が生まれて、これからどうなっていくのか。基地のこれまでをひも解き、未来を描きます。問企画総務課基地対策室☎2998-9033現在の基地の敷地は航空公園の約2倍【協力・提供】(五十音順)所沢市基地対策協議会、所沢市生涯学習推進センター広報ところざわ平成30年11月号2
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