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������石つ蕗わ忌 初冬に黄色い花を咲かせる石つわぶき蕗は、所沢の俳人斎藤俳はい小しょう星せいにゆかりの花です。俳小星は本名を徳蔵と言い、明治15年所沢町に生まれ、祖父など家族の影響を受けて早くから句作を始めました。農業のかたわら、雑誌「ホトトギス」や高浜虚子のもとで句を作り、のちには「逃水会」を主宰して所沢周辺の俳句界で指導的な役割を果たしました。昭和39年11月15日、亡くなる前日に読んだ「枯こ寂じゃく裡りに活を点じて石つわ蕗咲けり」が最後の句となり、この句碑が宮本町の俳小星の墓地に建っています。椿峰 小手指南と山口の境にあたる狭山丘陵の一部を指す地名です。新田義貞が箸はしに使った椿の枝が根付いたという言い伝えの木が、昭和50年ごろまで丘陵の藪やぶに残っていました。昭和45年、丘陵地に椿峰ニュータウンの開発計画が持ち上がります。東京のベッドタウンとして市内の開発が急激に進んだこの時期、豊かな自然と隣接するこの地区の開発は、環境に恵まれた良好な住宅地として注目された反面、市内で初の自然保護運動の契機ともなりました。嫁いだ日 美原町 武井 ひろ子 思い出すたびに今でも背中に緊張感が走ります。結婚が決まり、高円寺から所沢までの私の若き日の引越しです。夫が自宅に軽トラックを借りてやってきました。私のわずかな荷物を二人で積み上げて出発です。青梅街道に出てみれば車の多さとそのカーレースのようなスピードの速さにビックリ!その当時、夫は車の運転はあまりせず、軽トラックの運転は初めてとあってハンドルさばきはいまひとつ。楽しく弾んだ会話も気はそぞろ。ハラハラドキドキの連続でした。あれから39年。すっかり所沢市民となり、歴史まめ知識ところざわ19椿峰を指す地名です。新田義貞がいたという言い伝えの木が、昭和藪やぶつ◆テーマ「引越し」◆◆◆ 所沢市域にかかわる歴史的事項を50音順に紹介しています。今号は「つ」です。小林ヒデ子さん(金山町在住)も増えてくれるとうれしい」と、伝承者としての思いをのぞかせます。 郷土料理のレシピ改良にも取り組むなど探究熱心な小林さんは、努力を重ね、先月見事に食育インストラクター1級の資格を取得しました。講義のテキストにはメモがぎっしり。「覚えることがたくさんあって必死で勉強しました。大変だったけれど、食に関する知識を深めることができたし、有名な先生の講義も受けることができてうれしかった」とあくまでも前向き。「食は生きる力。これからは郷土料理だけでなく、食の大切さも子どもたちに伝えていきたい」と意欲があふれます。 「手作りの料理は手間も時間もかかりますが、その味わいもひとしお。自分で作ったものをおいしいと感じる喜びを子どもたちに大切にしてもらいたい」と優しくほほ笑む小林さん。その笑顔と愛情こそが隠し味なのかもしれません。◎小林さんが伝承している郷土料理のレシピは保健センターなどで閲覧できる「所沢市食育プラン」(本号3頁参照)でご紹介しています。所沢の味を次代に引き継ぐ、食の伝承者摘つみ田た 所沢の水田で、田植えをする「植え田」とともに用いられた栽培方法です。畑作が主であった所沢でも、柳瀬川沿いや丘陵の谷や戸とでは水田が営まれていました。丘陵から湧いたばかりの水は水温が低いため、堀へ流して温度を上げてから田に引くという工夫が必要で、場所によっては種を田に直じか播まきする「摘田」という方法が用いられました。摘田の良い点は、水温が低くても発芽すること、茶摘みや麦刈りなどの繁忙期に同時に田植えをしなくても済んだことなどですが、一方で、生育した籾もみは不ぞろいで、草取りの手間も植え田に比べて大変だったそうです。◎生涯学習推進センター(3階)では「まめ知識」にちなんだミニ展示を実施しています。問い合わせ 生涯学習推進センターふるさと研究グループ ☎2991‒0308 52991‒0309▲俳小星の句碑(宮本町)▲2011_2012シーズン、地元市民体育館での初勝利!今年もbjリーグプロバスケットボールチーム「埼玉ブロンコス」の熱い戦いが始まりました。 10月29日㈯/市民体育館 (撮影:市民カメラマン・木村清貴)▲「焼きだんご」の作り方を教える小林さん▲所沢こども劇場による「県民の日!体育館に行こう!あそぼう!」ではこまやけん玉などの昔あそびに挑戦しました。名人の中国ゴマの技に子どもたちもくぎづけです。 11月14日㈪/小手指小学校(撮影:市民カメラマン・佐藤清一郎)写真・原稿は返却しません▶住所・氏名(ふりがな)・電話番号を明記し〒359-8501広報課「みんなの広場」係へ郵送または hiroba@city.tokorozawa.saitama.jp広報 平成23年12月号 8
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