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������戦争記念碑 一般的に「表ひょう忠ちゅう碑ひ」「彰しょう忠ちゅう碑ひ」「忠ちゅう魂こん碑ひ」のように呼ばれ、柳瀬、富岡など当時の村単位に、従軍した人々の顕彰のため建てられた大型の碑です。当初は小学校や役場などの敷地にありましたが、戦後、碑が建つ敷地を公共用地から切り離したり、地区の神社へ碑を移設する一種の政教分離が進みました。市内には16基残り、その碑面からは西南戦争以降の従軍者の名を知ることができます。しかし太平洋戦争については刻まれているのは戦没者の名前のみです。総力戦の状況と戦没者1,311人という人的被害の甚大さがしのばれます。「懐かしい夏とチャレンジの夏」 下富 斉藤 惠久 夏が来れば思い出す…懐かしい歌声にふと何十年も前の夏を思い浮かべてみました。 生家の前には冷たくて、きれいな小川が流れ、ドジョウ、ハヤ、ザリガニ、トンボが生息し、夜にはどこからともなく蛍が飛び交い、時々採っては蚊帳の中で家族中で楽しんだことを覚えています。現在のようにクーラーもなく、うちわが大活躍の時代です。今年の夏は節電のため、夏の過ごし方、涼の取り方等々、みんなで考え実行するときがきました。電気、水の大切さを実感する夏だと思います。 汗を流すことも少なくなってきた現在、歴史まめ知識ところざわ15戦争記念碑魂こんに、従軍した人々の顕彰のため建てられた大型の碑です。当初は小学校や役場などのせ◆テーマ「夏」◆◆◆ 所沢市域にかかわる歴史的事項を50音順に紹介しています。今号は「せ」です。峯みねぎし岸 祐ゆたか高さん(山口在住)くれたおかげで古民家付き貸し農園『Corot』は産声を上げることができました」と周りへの感謝を忘れません。 『Corot』は、峯岸さん手作りの釜を利用してのピザ作り講習会、 地域の人が100人以上集まっての映画鑑賞会、ヨガ教室など多くの人が集まり、人と人をつなげ、つながる『場』です。峯岸さんは、「かつての寺子屋のようでもあり、コミュニティの場でもあるような、地域の人にとって必要とされる場所にしていきたい。そして、畑作業も行いながら、その畑で収穫された作物を自分たちで消費することで、地域を活性化することにつなげたい」と夢を語ります。 畑作業で汗をかいた後に、五右衛門風呂で汗を流し、囲炉裏端で食事をする…。そんなステキな時間を過ごせる場所が所沢にも残っていたのですね。五右衛門風呂付き「農家民宿」をオープン▲氷川子ども広場の旧山口村表忠碑西武ドーム 埼玉西武ライオンズの本拠地球場で、平成11年、既存の「西武ライオンズ球場」にドームを架ける工事が終了し、現在の姿になりました。前身の球場は、昭和54年に西武ライオンズの所沢進出に伴い新築されたものです。同年に最寄りの駅も「狭山湖駅」から「西武球場前駅」へと変わりました。ネーミングライツ(命名権)の売却により別の名称で呼ばれた時期もありましたが、平成20年から「西武ドーム」の名前に戻り、球音と歓声を響かせています。青年学校 尋常小学校(6年間の義務教育)や高等小学校を卒業したのち、進学せず就労した青年層の補習教育のために設置された学校で、昭和10年から同22年の六・三制実施まで存続しました。各町村の小学校(後には国民学校)に併置され、商業や農業などの職業教育と並んで、軍事教練が大きな比重を占めていました。私立の青年学校もあり、昭和19年には所沢陸軍整備学校内に私立所沢精せいび美青年学校が設けられています。◎生涯学習推進センターでは毎月その月の「まめ知識」にちなんだミニ展示を実施しています。(同3階)問い合わせ 生涯学習推進センターふるさと研究グループ ☎2991‒0308 52991‒0309▲自作の釜でピザを焼く峯岸さんと講習会の参加者▲学校・地域・家庭が一体となって開催された「東日本大震災復興支援・第5回北秋津小学校七夕まつり」。被災地が元気になるようにと、被災地の野菜の販売を子どもたちが一生懸命に手伝っていました。 7月3日㈰/北秋津小学校(撮影:市民カメラマン・西田憲正)▼▲新しい所沢の夏の風物詩になることを目指して、所沢・明峰小学校、所沢中学校や地域、商店街の協力のもと実施された「第3回野ところさわ老澤行あんどん灯廊ろうか火」。所沢元町コミュニティ広場に設置された特設ステージでは、歌やダンスなどでにぎわいました。 7月16日㈯/銀座中央広場ほか(撮影:市民カメラマン・木村清貴)真・原稿は返却しません▶住所・氏名(ふりがな)・電話番号を明記し〒359-8501広報課「みんなの広場」係へ郵送または hiroba@city.tokorozawa.saitama.jp広報 平成23年8月号 8
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