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広報 平成26年1月号 2 次世代に伝える人• 受け継ぐ人 所沢に伝わる民俗芸能の多くは、太平洋戦争による中断、青年団などが主体となった復活や継承を経て、現代へと受け継がれてきました。 現在、生活様式の変化などもあり、伝承環境は厳しい状況にありますが、保存継承団体の皆さんは、郷土の文化継承活動を通じて地域の絆をも紡いでいます。 新たな年、所沢の歴史とともに受け継がれてきた文化財に親しみ、次の世代へと伝える年にしてみませんか。問文化財保護課☎2998-9253�2998-9128 市内の祭ばやしは、重松流の他にも寿す々ず木き(鈴木)流や神田流の流派が伝承されています。久米に伝わる々木(鈴木)流寿【由来】 明治初期に清水(東大和市)の半次が、奉公先の高円寺から郷土に持ち帰り、この半次から久米の下しも田だ佐さ太た郎ろうらが中心となって囃子を習ったといわれます。【特徴】 小平市鈴木新田の系統で居い囃ばや子し向きといわれています。里さと神か楽ぐらや面めん芝しば居いの影響を受けた「岩いわ見み重じゅう太た郎ろう」「玉たま取とり姫ひめ」「狐きつね釣つり」など、山だ車しの上では演じることのできない劇が大正初期まで伝承され、八はち幡まん神社の拝殿などで演じられていました。【継承】 「久米囃子連」の皆さんによって、保存伝承されています。南永井に伝わる田流神【由来】 明治20年ごろ、木き村むら仲なか右う衛え門もんが中心となって、太鼓を購入して囃子を始めたといわれます。囃子は竹ちく間ま沢ざわ(三芳町)の囃子連から、踊りは水みず子こ(富士見市)の囃子連から習ったと伝わります。【特徴】 オオカン(大太鼓)・ツケ・笛などによる囃子に合わせて、おかめ・ばか面めん・天狐・獅子が踊ります。 間口一間半・奥行二間の囃子棚(明治期の丸太組のもの)をかけて演じます。【見る】 東光寺の金毘羅様や「戦国滝の城まつり」などでご覧になれます。【継承】 「南永井囃子連」の皆さんによって、保存伝承されています。【由来】 所沢に生まれた古ふる谷や重じゅう松まつが編み出した囃はや子しの流派で、重松流の「じゅうま」は重松の愛称です。幕末から明治期以降、所沢を中心として多摩地域にかけて広まりました。 古谷重松は行商のために近郷近在を歩き、その先々で囃子を伝授したといわれています。【特徴】 テンポの良さと、屋台囃子の小太鼓二つ(地と絡み)の掛け松流祭ばやし(所沢市指定無形民俗文化財)重合いに特徴があるといわれます。 囃子に合わせて、おかめ・藤とう助すけ・外げ道どう・天てん狐こ・獅子など、さまざまな踊りが繰り出されます。【見る】 「ところざわまつり」をはじめ、祭礼や市内で行われる行事などでご覧になれます。【継承】 各地域の囃子連や「重松流祭囃子保存会」(昭和42年結成)の皆さんなどによって、保存伝承されています。沢生まれの 重じゅうまりゅうまつり松流祭ばやし所 13歳のときに終戦を迎え、翌年、戦争で途絶えていた町内囃子連に入会しました。当時は娯楽がなく素人演芸が盛んで、私も青年団に入り、人形劇団「どんぐり座」で活動していました。 若いころは、知らない曲や踊りを習いに、どこへでも出かけました。録音や録画ができない時代でしたから、師匠に曲を一手ずつ教わっては、忘れないよう笛を吹きながら夜道を帰り、何度も通いました。繰り返し体で覚えたことは忘れません。今は映像を見ながら、楽に技術をまねできますが、自己流になって直らない人が多いと感じます。 平成元年に所沢小学校お囃子クラブが結成され、私も5年目から指導を続け、20年になります。結成当時の子どもたちも今では30歳代となり、御み幸ゆき町ちょう囃子連のメンバーになった人もいて、える人(重松流祭囃子保存会・内うち堀ぼり金きん造ぞうさん)伝24年の「重松流祭囃子競技会」優勝チームの笛とツケ(小太鼓)と踊りはクラブの卒業生で、みんな女性です。もう少したつと、母親になったこの卒業生たちが、自分の子どもを連れて一緒に重松流に参加してくれるのを楽しみにしているところです。 所沢で生まれたお囃子ですから、一人でも多くの子どもたちに、重松流祭囃子を習ってもらいたいと思います。�����������▲笛の名人内堀さんところざわまつり(10月13日)凡例…日日時 場場所 対対象 定定員 内内容 持持ち物 費費用 講講師 申申し込み 問問い合わせ HPホームページ 市HP市ホームページ「広報紙ピックアップ」 Eメール

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