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ところざわ歴史まめ知識 所沢市域に関わる歴史的事項を50音順に紹介しています。今号は「は」です。 道端の石仏のうち、お地蔵さまと並んで多いのが馬頭観音です。馬の頭を頭上にいただき、仏でありながら忿ふん怒ぬ相そうという怒りの表情を浮かべ、しばしば三面六ろっ臂ぴの異相を取ります。「馬頭観かん世ぜ音おん」と文字のみで表されることもよくあります。「馬」との縁から、家畜の供養や交通安全を願って建てられることが多く、古道沿いに立って道しるべを兼ねるものもありました。市内には100基以上の馬頭観音塔がありますが、例えば北野南の全徳寺参道の馬頭観音には、日清戦争に際し北野村から徴発された馬4頭の供養と子孫長久、養よう蚕さんの繁栄などが刻まれ、当時の願いを伝えています。 稲荷社のお祭りで、旧暦2月の最初の「午」の日が祭日であることが名前の由来です。屋敷神や近所の組など小規模な単位のお祭りで、規模の大小はあれ昔は年中行事としてどこでも行われていました。「正一位稲荷大明神」の幟のぼりを立て、赤飯や油揚げやめざしをお供えした後、ほこら前で火をたき、めざしを焼いて食べます。この日にはお茶を飲んではいけないとする地区もありました。小手指地区では、むしろで囲った仮小屋に子どもたちがこもる、子ども中心の初午が知られています。 旗本とは、徳川将軍家直属の家臣のうち、石こく高だかが一万石未満で将軍に御お目め見みえできる者のことを言います。江戸の主となった徳川家康が、三河などから伴った家臣に近郊の村を領地として与えると、彼ら旗本は領地に陣屋や菩提寺を設けました。当初は家族とともに陣屋に住み勤務のたびに江戸へ通っていましたが、のちに江戸城下の建設が進むと江戸屋敷を建てて移り、領地の村には菩提寺や墓所が残されました。馬ば頭とう観かん音のん初はつ午うま旗はた本もと▲国際交流事業で来日したベルギー王立カンターテ・ドミノ少年合唱団が所沢中学校を訪問。同校混声合唱団との合唱は優しい天使の様な歌声でした。 7月5日㈭/所沢中学校 下富 新井 智子 今年は夫が定年になり、そのまま働き続けていますが、とにかく収入がダウン。夏もお金は使えません。ということで、ヘチマのすだれで涼を呼ぼうということになり、種をまきました。毎日朝晩せっせと水をやり、だいぶ大きくなりました。もうすぐ家の周りに植え替えます。とても楽しみです。ヘチマ屋敷になるのが…。 その後、夫がヘチマコロンを作ってくれると言っています。 上新井 竹内 登志子 子ども1人の3人家族ですが、使わない家電製品のコンセントを抜くだけじゃなく、使用してない部屋のブレーカーを落としてぜひ節電を家族みんなで節電◆テーマ「我が家の節電術」◆◆◆ていますが、「緑寿荘の職員の協力なしには、ここまで輪は広がりませんでした」と名人らしい周囲への気配りも忘れません。「縁起物だし、プレゼントするとみんなに喜んでもらえますから」と作り続ける理由をさらりと話す棚瀬さんですが、展示会に出品する作品は1年以上かけて色塗りと研ぎ、絵付けなどの細工を行うという大変な作業で、大きいものはゆうに1mを超えます。それでも「初めての方でも簡単にできますよ。それに今は、会員の方が楽しめるようにおひなさまやサンタクロースなど季節に合わせたさまざまなデザインを取り入れています」と棚瀬さんは続けます。 今後の目標を「生活の一部となっているひょうたん細工を健康である限り続けることはもちろん、幼稚園児や小学生にも作ってもらえるように働きかけ、栽培から細工までを子どもたちに楽しんでもらいたい」と笑顔で語る名人でした。皆さんも生活の一部になるような趣味を見つけて老後を有意義に過ごしてみませんか。瓢ひょう道どう位い「鶴かく鳳ほう名人」を取得26は▲馬頭観音の一例(小手指町)問い合わせ 生涯学習推進センターふるさと研究☎2991‒0308 52991‒0309▲棚瀬名人の作品棚たな瀬せ 静しず夫おさん(上新井在住)▲今回で21回目を迎えた『ハワイアンフェスティバル』。アマチュアバンドの心地よいリズムとあでやかな衣装を身にまとったフラダンサーの熱演に満員の観客は拍手喝采でした。 7月1日㈰/吾妻まちづくりセンター (撮影:市民カメラマン・西田憲正)バ広報 平成24年8月号 8真・原稿は返却しません▶住所・氏名(ふりがな)・電話番号を明記し〒359-8501広報課「みんなのひろば」係へ郵送または hiroba@city.tokorozawa.saitama.jpひろばば

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