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������狭さ山やま湖こ 狭山丘陵の谷を堤つつみでふさいで築かれた人造湖。正式には「山口貯水池」といいます。昭和のはじめ、東京市(当時)の水がめとして、南側の多摩湖(村山貯水池)に続き作られました。多摩川の水が羽村の取水口から引かれています。昭和4年(1929)に着工したこの工事によって、山口村(当時)の勝楽寺地区、堀口地区の一部が湖底に沈むことになり、282戸が移転を余儀なくされました。その後、昭和20年代には首都圏近郊の観光地として注目され、周辺にユネスコ村など観光施設の整備が進みました。「狭山湖」の通称もそのときにつけられたものです。桜さくら木ぎ神じん社じゃ 大字下新井にある国こく学がく者本もと居おり宣のり長ながを祭る神社です。下新井村の森田道みち依よりは、幼少から学を好み、特に本居宣長に心酔して本居家三代目の内うち遠とおに入門、ついには宣長の没後50年にあたる嘉永3年(1850)、所有の山林に桜木神社を創建しました。国学とは、古事記や万葉集などの研究を通じて、仏教が伝わる以前の日本人の精神を明らかにしようとする学問で、江戸時代後期にたいへん盛んになりました。「桜木神社」の名は、宣長が桜を好んだことに由来します。狭さ山やま三さん十じゅう三さん番ばん札ふだ所しょ 西さい国ごくや坂ばん東どうなど著名な観音霊場にならって、江戸時代後期に金こん乗じょう院いん(山口観音)の僧亮りょう盛せいと、三ヶ島妙みょう善ぜん院いんの僧卍まん杲こうが創設した観音霊場。金乗院を第一番、妙善院を最後の三十三番として、狭山丘陵周辺の33か寺から構成され、無住の小堂も含めて市内には12か所が点在します。33という数字は、本尊の観音が衆生を救うため33の姿に変化すると経典で説かれていることに由来します。問い合わせ 生涯学習推進センターふるさと研究 ☎2991–0308 52991–0309写真に恋�中新井 高橋 祥子 友人と旅行に行き写真が趣味という方にお会いし、写真家の視点で撮り方を教えていただき写真に恋をしました。携帯電話でメールのやり取りをしているうちに『ときめき』を覚え主人に内緒にしていました。ある日、大きな写真が届き、とうとう主人のいる前で、お礼の電話をして、1か月の『ときめき』が終わりました。 写真に恋したのは、初めてでした。いつまでも若い心でいたいと思いました。映画ってすばらしい!�松郷 石原 晃子 私、いつも恋しています。 相手?、ジョニー・デップ、ジョージ・クルーニー、リチャード・ギア…です。歴史まめ知識ところざわ12さ◆テーマ「恋」◆◆◆ 所沢市域にかかわる歴史的事項を50音順に紹介しています。今号は「さ」です。陸前高田市は、サイレンが鳴れば自主的に避難する防災意識の高いまちであったにもかかわらず「被災状況を見るとまさに想定外の津波だった」とその津波の大きさに驚きを隠せません。 石井さんは、この未曾有の災害を目の当たりにし、「あらためて所沢市の防災について考えるようになりました」と話します。「いざ災害が発生したとき、各家庭の備えは十分か、非常用持ち出し品、家族との連絡方法、家具の転倒防止などまだ徹底できていないことも多いのではないか」と心配します。また「被災地では被災者自らが炊き出しや安否確認を行っていた。近所付き合いが大切で、普段から地域との関わりを深めてほしい」と人々のつながりに期待を寄せます。 後輩消防士に対しては「災害対応はとても困難であるが、被災者本人が一番つらいはず。自分はその人たちのために全力で頑張ってきた」この気持ちを伝えたいと語ります。 石井さんの体験から、みなさん今一度、地域の防災・安全について、そして東北地方の復興のため自分にできることを考えてみましょう。緊急消防援助隊第一次埼玉県隊(所沢隊)隊長 石井 英夫さん被災者のために全力で▲狭山湖全景▲陸前高田市での捜索活動の様子▲所沢瓢ひょうたん箪クラブの「ひょうたん5月人形教室」。ひょうたんに顔を描くときには、絵筆を握る手に力がこもります。4月18日㈪/老人福祉センター緑寿荘▲好天に恵まれた暖かい春の日に、「第60回記念所沢市子ども写生大会」が開催されました。子どもたちは、楽しい乗り物や美しく舞う桜の花びらなどを色鮮やかに描いていました。4月16日㈯/西武園ゆうえんち(撮影:市民カメラマン・八木豪彦)写真・原稿は返却しません▶住所・氏名・年齢・電話番号を明記し〒359-8501広報課「みんなの広場」係へ郵送または hiroba@city.tokorozawa.saitama.jp広報 平成23年5月号

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